今回は、前回に引き続いて、古典の新傾向問題について見ていきます。
 共通テストにおける国語全体の特徴として、〈複数のテクストを読み合わせる〉ということが指摘できます。前回見た現代文と同様に、古典でも2つの古文・2つの漢文が与えられました。ただし、試行調査で見られた、本文の内容に関する生徒たちの議論(つまり、古典と現代文の組合せ)は姿を消しています。つまり、純粋に古典の読解力を問う方向性が見られたと言えるでしょう。
 その中でも、本文中に登場する和歌の返歌とは異なる返歌を示して、その解釈を問うという古文の問題は面白かったので紹介します。

(本文中の和歌と返歌)
X 悲しさをかつは思ひも慰めよ誰もつひにはとまるべき世か
Y 慰むる方しなければ世の中の常なきことも知られざりけり
(問題で与えられた文章)
 『栄花物語』の和歌Xと同じ歌は、『千載和歌集』にも記されている。妻を失って悲しむ長家のもとへと届けられたという状況も同一である。しかし、『千載和歌集』では、それに対する長家の返歌は、
Z 誰もみなとまるべきにはあらねども後るるほどはなほぞ悲しき
となっており、同じ和歌Xに対する返歌の表現や内容が、『千載和歌集』の和歌Zと『栄花物語』の和歌Yとでは異なる。『栄花物語』では、和歌X・Yのやりとりを経て、長家が内省を深めていく様子が描かれている。
(問題)
 この文章の内容を踏まえて、X・Y・Zの三首の和歌についての説明として最も適当なものを二つ選べ。(選択肢省略)

 Xは「妻を失って悲しむ長家のもとへ届けられた」歌で、「悲しさをお慰めください。誰もこの世に生き続けることはできないのですから」と、長家をいたわっています。これに対する『栄花物語』の返歌Yは「悲しみを慰める方法もないので、この世が無常であることにも思い至りません」、一方、『千載和歌集』の返歌Zは「無常の世であることは分かっていますが、妻に先立たれた直後なのでやはり悲しいのです」と、「無常」の受け止め方が若干異なります。その点を的確に説明した、「それでも妻を亡くした今は悲しくてならない」とある③と、「世の無常のことなど今は考えられない」とある⑥が正解でした。
 本問のポイントは、返歌Y・Zにおける「無常」の受け止め方の違いです。2つの文章(本問では歌ですが)の読み比べが求められるときには、どこが共通しどこが異なるのかを把握しましょう。複数のテクストを出題する共通テスト国語の意図はそこにあると考えられます。もちろん、その土台には本文をしっかりと読み抜く力があることも、忘れないでください。
 次回は、第1回の記事から述べてきたことを踏まえ、共通テストで求められるものについて、整理したいと思います。