今回から、現代文の勉強法についてお話していきます。他の科目では、例えば、英語であれば英文法を体系的に理解するとか、数学であれば公式を使いこなして問題を解くとか、イメージがわくでしょうが、現代文に関しては、何をどうやって勉強すればよいのか分からない、というよりも、勉強しても意味がないと思っている人も多いと思います。そこで、まずは現代文で求められる「読解力」とは何かについて考えてみましょう。

 「読解力」のある人とない人の違いはどこにあるのでしょうか?

 国語の先生は「筆者の言いたいことに線を引きながら読み進めなさい」と言いますね。しかし、どこが「筆者の言いたいこと」か分かりません。ここで、「読解力」のない人は、2つのタイプに分かれます。1つは、文章とにらめっこするだけで、どこにも線が引けないタイプ。もう1つは、ほぼ全ての線を引いてしまって、結局どこが大事なのか分からないタイプ。正反対に見えて、両者には共通点があります。それは、メリハリをつけて文章を読んでいない、ということです。

 文章が初めから終わりまで同じ密度で書き進められていたら、読者は息をつく余裕がなくなって、ついていけなくなってしまいます。そこで、筆者は、具体例を示すなど軽めの内容を挿入して、読者を引きつけます。そうして、言いたいことをきちんと伝えられるようにするのです。

 ですから、評論文といっても最初から最後まで「筆者の言いたいこと」で埋め尽くされているわけではありません。むしろ、ほんの一部です。しかし、その「ほんの一部」を読者に伝えるには、それ以外の大部分が必要です。読者からすれば、「それ以外の大部分」をかき分けて、「ほんの一部」の「筆者の言いたいこと」を見つけ出すことが求められます。
 もうお気づきかと思います。「読解力」のある人とは、そのような文章のメリハリを見極めて、「筆者の言いたいこと」を読み取れる人なのです。一方、「読解力」のない人は、まったく線が引けなかったり、逆に全てに線を引いたり、いずれにしろ「筆者の言いたいこと」にたどりつけません。

 では、どうすれば「筆者の言いたいこと」を読み取ることができるのでしょうか?

 筆者は、自分の言いたいことを読者に伝えるために、ここから大事な部分ですよと分かるように、〈サイン〉を言葉で発しています。反対に、軽めの内容なので流して読んでもよいという〈サイン〉もあります。

 「読解力」のある人というのは、小さいころからの読書体験などが物を言って、〈サイン〉が自然と見分けられるものです。しかし、そうした土台がない人は、どのような〈サイン〉があるのかを知ることから始める必要があります。ここが現代文の勉強の第一歩です。

 ただし、〈サイン〉と言っても特別なものではありません。日本語として自然に用いられている表現です。むしろ、自然すぎて素通りしてしまいがちなので、意識的に捉えるトレーニングをしなければなりません。次回はその点についてお話したいと思います。