第45回 入試現代文入門・⑤要約・言い換えの「つまり」
今回解説する言葉の〈サイン〉は、要約・言い換えの「つまり」です。「文中に『つまり』が出てきたら、まとめの部分なので、しっかり読み取るように」といった指導は、これまでに受けてきたことがあると思います。ですが、それでは「つまり」の働きを完全に理解したとは言えません。「つまり」の後の部分だけでなく、前の部分も押さえましょう。そして、前の部分と後の部分の関係を捉えてください。
実は、「つまり」でつながれた前の部分と後の部分との関係には2つあります。
1‐(具体的な内容)つまり〈抽象化された内容〉
2‐〈抽象化された内容〉つまり(具体的な内容)
「抽象」とは、※この記事の内容について、詳しくは『新ゴロゴ現代文』〈基礎~必修編〉〈共通テスト編〉で解説しています。
「抽象」とは、具体的なものから共通する要素を取り出してまとめることです。(イチゴ・ブドウ・メロン)を抽象化すれば〈果物〉、(テレビ・炊飯器・掃除機)を抽象化すれば〈電化製品〉ですね。
評論文は、具体と抽象のくり返しによって成り立っています。具体的な事例を挙げて説明した後で、それを抽象化して主張としてまとめる。あるいは、主張を抽象的に述べたうえで、分かりやすく具体例を提示する。その、具体と抽象をつなぐ役割をしているのが、「つまり」という言葉の〈サイン〉なのです。
評論文では〈抽象化された内容〉の方に筆者の主張があります。ですから、前後のどちらが〈抽象化された内容〉なのかを見極めて、マーク・線引きしましょう。それとともに、(具体的な内容)もしっかり読み取って、〈抽象化された内容〉を肉付けすることが肝心です。
次の例文をご覧ください。今回もセンターの過去問からです。
私は、時おり、外国に住むということは、草木が移植される状態に似ているように思う。つまり有機的な感覚体験が存在全体をゆりうごかすということである。新しい土壌に存在のこまかな根の先が、おののきながら極端に微細な感覚と化して入りこんでゆくのである。(饗庭孝男『想像力の考古学』)
「外国に住むということ」を「草木が移植される状態」と比喩的に述べたうえで、「つまり」の後で「有機的な感覚体験が存在全体をゆりうごかすということ」とその説明をする、という関係になっていますね。押さえるべきはもちろん後の部分です。
同一の出典からもう一つ例文を挙げましょう。
「私」とは一個の「私」である以上に「私」の属する言語圏の歴史や生活体系そのものであり、伝統であるとも言うことができる。換言すれば「私」とは深い存在なのだ。
「換言すれば」は「言い換えれば」ということで、「つまり」と同様の意味で用いられます。この例文では、「『私』の属する言語圏の歴史や生活体系そのもの」を「深い存在」と言い換えていますが、それでは意味が分かりませんから、前者を線引きして押さえましょう。
このように、「つまり」が出てきたら、前後の具体と抽象の関係を見極めるということを心がけてください。
※この記事の内容について、詳しくは『新ゴロゴ現代文』〈基礎~必修編〉〈共通テスト編〉で解説しています。