前回は、(具体的な内容)の始まりを示す言葉の〈サイン〉である「とたえば」を取り上げながら、評論文は具体と抽象のくり返しによって成り立っていること、そして、筆者の主張は〈抽象化された内容〉の方にあることを解説しました。「たとえば」「つまり」などの言葉の〈サイン〉に着目することで、具体の部分と抽象の部分をしっかりと見極め、「筆者の言いたいこと」を的確に押さえてください。
 さて、「たとえば」や「つまり」は具体と抽象の転換点を示す役割を果たしているわけですが、そのような働きをする言葉の〈サイン〉がもう1つあります。それが、今回取り上げる「このように」「そういう」などの指示語です。
 これらの指示語は、「これ」「その」などが単語や短い語句のみを受けるのに対して、一文や段落全体の内容を幅広く受けるので、〈幅広い指示語〉と呼ぶことにします。
 たとえば、発表などをするときに、それまで述べてきた内容をまとめるところで、「このように~です」と言いますね。評論文でも同様で、〈幅広い指示語〉は段落の終わりや段落の冒頭に置かれて、具体例などをまとめて要約する働きをします。(具体的な内容)から〈抽象化された内容〉に論が進んでいくことを示すわけです。
 今回も、入試現代文で最頻出の筆者の一人である鷲田清一の文章から例文を取りましょう。

 わたしたちは行為の最中に「いま」と言うより、行為がまだ完了していないとき、もしくはすでに完了してしまっているときに、「いま」という言葉を使いがちだと、中島(義道)は指摘する。「いま」という言葉には、だれかに向けて同じ「いま」の幅を共有することへの呼びかけが含まれているというわけだ。
 過去と現在がこのように言葉によって「制作」されるとしたら、未来はどうだろう。未来もまた言語的に、とまでは言わなくても「意味」によって、「制作」されるのだろうか。

 たしかに、先ほど会っていたのに、「いま○○さんと会っていたよ」と言いますね。それは、○○さんの話題を話しかけた相手と「共有」するためです。そのようにして「いま」の幅は過去へと広がっていきます。例文では、この(具体的な内容)を次の段落で〈幅広い指示語〉の「このように」で受け、過去と現在は言葉によって「制作」されるとまとめています。
 ところで、文章の途中でなぜまとめをするのでしょうか? それは、見方を変えたり、新しい話題を提示したりと、論を先に進めていくためです。例文でも、「未来はどうだろうか」と、新たな問題提起がされていますね。ですから、〈幅広い指示語〉が出てきたら、そこまでの内容をいったん整理し、次なる内容に備えるといった心構えで、読み進めるようにしてください。それが、「メリハリをつけて読む」ということです。
※この記事の内容について、詳しくは『新ゴロゴ現代文』〈基礎~必修編〉〈共通テスト編〉で解説しています。