前回は、選択肢の正誤を判定する際には、全体を見るのではなく、いくつかの要素に分け、ポイントを絞って判定していくということを述べました。全体的に正しい・誤っているというのは、なかなか判定できるものではありません。指示語の受ける内容など、確実に分かるところから決めていくというのが肝心です。
 さて、前回の記事では無造作に「正しいもの」と表現してきました。しかし、厳密に言うと、入試現代文は「正しいもの」を選ぶ問題ではありません。その証拠に、共通テストの問題を見れば、設問文には次のようにあるはずです。
「~とあるが、それはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。」
 どんな文章も、一意に「正しい読み方」を決めることはありません。多様な解釈が許される小説はもちろんのこと、評論も本来はさまざまな読み方が可能です。ですから、「正しいもの」を問うたとしても、それが「正しい」と言える根拠はありませんし、「この解釈は正しくないのか」と批判を受けることになります。
 そこで、入試現代文では、「正しいもの」ではなく、「最も適当なもの」を選ぶという問い方になっているのです。それは、「これが正しい読みであると断言できるものはないけれども、本文の記述を踏まえれば、まあこれくらいのことは言えるだろうし、誰もがご納得いただけるでしょう」ということを意味しています。
 「正しいもの」ではなく「最も適当なもの」を選ぶ。このことから、言えることが2点あります。
まず1点目は、だから客観的な読みが求められるということです。入試現代文は、あなただけの主観的な読みを求めるものではありませんし、そんなものを評価することもできません。出題者にも出題者自身の読みがあるはずですが、そうしたものを押し殺しして出題しています。「最も適当なもの」を選ぶということは、誰にでも間違いなく言える客観的な読みを追求するということでもあるのです。
 次に2点目は、選択肢に過剰な「正しさ」を求めようとしないということです。選択肢の正誤を判定するときに、本文の表現と選択肢の表現が微妙に異なることが気になって、正解なのに誤りと判断してしまうということがあると思います。それは、「正しいもの」を選ぼうとすることによるミスです。そもそも、本文そのままの表現であったならば、ミエミエの正解になってしまいますから、多少の表現は言い換えます。「正しいもの」ではなく、「最も適当なもの」を選ぶという感覚ならば、多少の違いは気にならないでしょう。
 設問文に何気なく書かれている「最も適当なものを選べ」という文言ですが、実は、入試現代文の本質に関わる内容が含まれているのです。

※この記事の内容について、詳しくは『新ゴロゴ現代文』〈基礎~必修編〉〈共通テスト編〉で解説しています。