第107回 入試現代文の解法・⑨「つまり」「言い換えれば」の前後は相互ヒントとなる
前回は、「つまり」に代表される要約・言い換えの接続語について解説しました。評論文は具体と抽象の繰り返しによって成り立っていますが、要約・言い換えの接続語の前後では、具体→抽象の関係になっている場合と、抽象→具体の関係になっている場合とがありますから、マーク・線引きしながらどちらなのかを見極めてください。
今回は、要約・言い換えの接続語に注目して解く問題を、センター試験から例題として取り上げます。具体→抽象の関係であるにせよ、抽象→具体の関係であるにせよ、前後は内容的に同じことを言っているわけですから、それをヒントにして解くことが肝心です。
〈例題〉
さて、よく言われるように、紙に記された楽譜は、実際の演奏によって音響として実現されない限り、いまだ音楽ではない。存在論的な視点から考えれば、この指摘はまったく正しい。しかしその一方で、作曲家が自らの音楽作品を提示し得るのは、楽譜という形においてでしかない。作曲家は、自分の作品を直に音響として人々に提示することはできないのである。作曲家が提示した楽譜は、演奏者によって演奏されて、A音楽としての実体を得る。言い換えれば、作曲家が提示するものは、音楽作品そのものであるよりも、むしろ、その音楽作品の「テクスト」なのであって、演奏者は、その「テクスト」を解釈して音響化することで、その音楽作品を実現する。
問 傍線部A「音楽としての実体」とあるが、「音楽としての実体」についての作者の考え方を説明したものとして適当なものを、次の①~⑤のうちから選べ。
① 紙の上に書かれた楽譜としての音楽は、実際に演奏者によって演奏されることで、はじめて自立し完結した「テクスト」として存在するようになる。
② 音楽作品は、様々な演奏者によって色々な解釈をほどこされることで、はじめて作曲家の特定の作品として存在するようになる。
③ 一般になじみにくい近代西洋音楽の作品は、実際に演奏され音響構成体となることで、はじめて幅広い聴衆層に受け入れられる存在となる。
④ 楽譜の存在がそのまま音楽というわけではなく、音楽は演奏され感覚に訴えるものとなることで、はじめて実現された音楽として存在するようになる。
⑤ 作曲家が提示した楽譜を演奏者ができるだけ忠実に演奏することで、はじめて音楽は筆記的特性に富んだ「テクスト」として存在するようになる。
傍線部の直後にある「言い換えれば」に注目しましょう。「音楽としての実体」ではよく分からないので、具体的に説明しているわけです。作曲家が示す楽譜は「テクスト」にすぎません。それを演奏者が演奏(音響化)することで、「音楽作品」として「実現」されるというのです。この内容を端的に述べている、④が正解とズバリ判定できます。その他の選択肢は、「言い換えれば」以降の内容を踏まえていないことを確認してください。
次回は、要約・言い換えの接続語に着目して解く記述問題にチャレンジしましょう。