前回は、評論文における頻出テーマとして特に重要な「言語論」について解説しました
。言葉とは、私たちが持つ理性によってこの世界にある事物を抽象化し、自ら作り出して
いくものです。こうした考え方の大枠を理解することで、どんな文章が出題されても読み
こなせるようにしてください。
 さて、今回は「言語論」と並んで何よりも先に理解しておきたい「近代」について解説
したいと思います。「近代」は、すべての評論文に関わると言っても過言ではないほど重
要であり、本文じたいに「近代」の語が用いられていなくとも、「近代」に対する見方・
考え方が下敷きになっています。言わば「テーマのテーマ」とも言えるのが「近代」です
ので、きちんと大枠をつかんでおきましょう。
 「近代」とは、個人が神の束縛から解放され、自由を手に入れた時代です。中世ヨーロ
ッパでは、人々は唯一絶対なる神の下に置かれていました。人間は自然界の万物と同じく
神の被造物であり、神の意思によって運命づけられていると考えられていたのです。
 そこに変化をもたらしたのが、ヨーロッパで14~16世紀に展開されたルネサンスと宗教
改革の動きです。ルネサンスは、古代ギリシアやローマの文芸復興を目指す運動で、その
中から人間性を尊重する精神(ヒューマニズム)が芽生えます。一方、宗教改革は、教会
の権威から自由になって、神を信じるという個人の内面的な信仰を重んじようという運動
でした。両者は、「個人の自由」という点で共通しています。こうして、神の下に置かれ
た「中世」から、個人が自由に活動する「近代」へと、時代が切り開かれたのです。
 神の束縛から解放されて、自由を手に入れた「近代」という時代は、個人にとって幸せ
な時代であるように思えます。たしかに、人類は自らがもつ理性を十分に発揮することで
、科学を発達させ、物質的な豊かさを実現しました。自由を得た個人は、国王による支配
をも打ち破り、自分たちのことは自分で決める民主主義を勝ち取りました。
 しかし一方で、近代科学と結ついて発達したテクノロジーは自然破壊の問題を生じさせ
ています。また、自由を得たはずの現代人は内面に巣食うエゴイズムに苦しんでいます(
それを作品で描き続けたのが夏目漱石です)。
 そうです、「近代」を原因とするさまざまな問題が現代の社会では噴出しており、だか
らこそ「近代」は評論文で問われ続けるのです。この先の深堀りした内容は『新ゴロゴ現
代文〈語彙・テーマ〉』で勉強してください。評論文で書かれている内容がより深く理解
できるようになるでしょう。
 次回からは、本番まで2カ月近くに迫った共通テスト対策についてお話していきたいと
思います。