ここまで、「攻略アイテム10」の中でも特に重要な、幅の広い指示語・ではなく構文・要約・言い換えの接続語について、入試問題も含めて詳しく解説してきました。もう一度確認しておきますが、「攻略アイテム10」は、「日本語の運用のしかた」に即して、文章の濃淡を捉え、筆者の〈言いたいこと〉を浮き彫りにするためのルールです。「意味」は取り違えますが、「型」は間違えることはありません。「攻略アイテム10」にしたがって手を動かし、筆者の〈言いたいこと〉を「見える化」してください。
 さて、筆者の〈言いたいこと〉をつかむと言うとき、「本文におけるキーワードを意識しながら読みなさい」といった指導を受けたことがあると思います。本文における議論の中心となる言葉、それがキーワードです。もちろん、筆者の〈言いたいこと〉にも関わります。ですから、キーワードは何かと考えながら本文を読むことはとても大切なことですが、実は、キーワードを示す表現もあります。それが、「攻略アイテム10」の「5重要接続語・文末表現マーク」の中にある「Aとは~構文」です。
 言葉の定義をするときに、「とは」「というのは」などの表現を用いると思います。では、どういうときに言葉の定義を説明するでしょうか? 議論していることに関係のないような言葉を、わざわざ定義することはないですよね。その言葉が重要であり、議論にも関わるからこそ、筆者は定義をするわけです。
 ですので、「Aとは」「Aというのは」などの形で定義されている言葉は、キーワードだと判断して間違いありません。「とは」「というのは」に波線を引き、定義されているAの語をマルで囲んでください。そして、「とは」「というのは」以降に書かれている内容がその言葉の定義ですから、線引きしてしっかりおさえましょう。
 次の例文をご覧ください。

〈例文〉
 死に直面してびくともしない名僧は立派すぎる。凡人は、ふだん名僧といわれる存在でありながら、死に際して悲しみ、うろたえるような人に、かえって共感し、救われるものを感じることがある。救済とは救ってくる相手に他者性とともに自己同一性をも見いだすということであろう。ここにも逆説がある。宗教的生とは死をおそれない生きかたではなく、死を恐れてもよいという生きかたではないだろうか。

 「救済とは」「宗教的生とは」と、定義が連続していますね。私たち凡人が救いを覚える名僧の存在というのは、立派でありながら(他者性)、私たちと変わらず死に際してうろたえる(自己同一性)という「逆説」がよく分かりますね。
 次回は、定義の表現に着目して解く問題を取り上げて解説します。